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Yasuko's avatar

 お疲れ様です。新しい科目でも、ご苦労の様子ですね。

 これまでわかっていると思っていたことが、ストンと落ちました。MBAの学びは、社会のお困りごとを解決すること、そして、「定量と定性の両方が大事」と、嫌というほど(笑)聞かされている言葉の意味するものが。

 ザ・文系の私としても、数式を見るだけでゾッとしますが、主張に対する根拠を他人が納得するためのコミュニケーションツールと考えれば、それは使えた方がイイよね!と、前向きに考えられるようになります。いずれ必修科目で受講しなければならないオペ戦への恐怖も、少しは愛情に変化できるかもしれません(^^;) 理系の人には、それなりの逆のお悩みもあるのですね。

 それにしても、のがさんはソフトクリーム1つ買うのにも、いろいろな事を考えているのですね。私だったら、ただイラっとして終わります。そして、メリケンパークの”BE KOBE” 反対から読んでも、BE KOBEなんですね!

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m.mizoguchi's avatar

文系と理系の違い、あるあるですが僕もよく思います。結局は同じゴールを見ていると思うのですが、アプローチの違いかと思います。野上さんが書かれている理系的なアプローチだと、様々な事象のエッセンスを抽出してそれを数式化します。しかし、実際の事象には必ず「標準」から乖離する例外が生じます。理系的なアプローチは、全てをカバーすることはできなくてもだいたいの事例を説明(証明)するというイメージだと思います。対するに、文系的なアプローチは全ての個々の事象を等しく重んじる、それぞれの意味を解釈するようなイメージを持ちます。それ故、どちらかというと例外的な存在に焦点が当たることもしばしばあるようにも感じます。その結果、文系的なアプローチだと、で、結局どういうこと?の部分が感覚的に理解しているが、他者に対する説明力に欠ける面があるように思います。文系的なアプローチでも、個々の事象を理解しながら、その核となる部分へ帰納的へ追求していけば、そして理系的なアプローチでは、まずエッセンスの部分で事象全体(ユニバース)の性格を説明した後に、偏差が大きい例外的な事象の説明に言及すれば、結局ゴールは同じになるはずですが、最初のステップで停止すると、いわゆる理系文系が互いに理解できない問題となるような気がしています。

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